京都大学防災研究所山地災害分野で学んだ5年間

国立大学法人北見工業大学 助教 山崎新太郎

 私は,2004年4月から2009年3月まで,理学研究科の修士課程と博士課程において,山地災害分野の研究室に在学しました.ここに在籍した5年間で学んだことはとても多く,自身の成長とキャリアアップにとって重要な経験でした.

 私自身は学部を卒業後に研究者を目指して,山地災害分野を志望し修士課程での2年間では研究者として基礎となる論文の精読と執筆の方法を学び,博士課程の3年間では,自らが千木良教授と共同で設定した課題に取り組みました.まさに最初の2年間は鍛錬そして,博士の3年間は昇華であったように思います.その経験が現在でも自身の創造性を維持する原動力になってきたように思います.

 私の修士課程および博士課程の研究は,端的に言うと「なぜ,硬い変成岩に地すべりが発生するのか?」というテーマに5年間取り組みました.特に,自身の郷里でもある四国に多発する巨大な岩盤地すべりは泥質片岩に多発します.この泥質片岩は,一定の方向に裂けやすい傾向があるものの,なぜ特定の深度に地すべりが発生するのかは未解明でした.それを解明することは防災実務上大きな意義がありました.自分は,従来から行われている地質学的解析に先端的な物理化学的分析を加えてその課題に取り組み,研究室の研究業績欄にあるような成果に結実しています.この課題を行うには,本研究室の環境と千木良教授をはじめとするスタッフの方々の協力が不可欠でした.そして,素晴らしいテーマに恵まれたこともあったと思います.

2005年ごろ,実験中 2008年ごろ,素晴らしい褶曲に張り付く

 本研究室に進学を予定している方の参考になるように,自身の修士課程,博士課程での経験を振り返って書くと,修士課程の2年間では,予め,千木良教授と相談の上決定した課題に挑戦しました.私自身は地形学の出身であり地質学的な経験がほとんどなかったために,まずはフィールド調査を,そして,物性分析,化学分析を網羅するように取り組みました.本研究室には十分な余裕があり,研究室の機材はほとんど独占的に使用可能であっため,自由に自身の興味に合わせて実験ができたことは今から考えてみれば非常に幸運でした.それだけではなく,学外の先端的な研究機材や分析装置を使用するために,千木良教授には最大限の協力と配慮をいただきました.現在も行われているSEESと呼ぶ研究室内のゼミは,自身の研究の進捗状況の確認,英語論文の精読,欧米の研究事例の紹介というローテンションで毎週,非常に緊張を強いられましたが,やがて,それらが自身の研究のモチベーションを高くアップさせたように思います.修士課程の2年間は自由もありましたが,決められた時間に決められた成果を出すという訓練の中で研究者として十分な実力をつけるのに欠かせないものを得ることとなったと感じています.

2005年3月ごろ,SEESの様子 2005年3月,卒業記念スキー合宿(福井)


 一方で,博士課程での3年間は自主性と創造性が要求されました.独立して研究計画を作成し,自身で研究費を獲得し,そして,学内外に出向いて多くの実験や外部の技術者・研究者と交渉を行いました.今から考えてみれば,よほど環境が恵まれなければ一学生,一研究室がそういうことを行うことは非常に困難なもので,そういったことができたのは,修士課程の時点である程度の成果が得られたことと,本研究室と卒業生の諸先輩方が学外企業,学外研究機関から既に大きな信頼を得ていたこともあると思います.

2006年11月ごろの「修論・博論がんばろう会」 2008年の耐震改築工事で新しい研究室ができたころ

 5年間で得たものにはかけがえのない友人もあります.同時期に在籍していた先輩同輩後輩が現在,地質技術者,研究者として活躍しています.現在でも密に連絡を取り,様々な情報を交換しています.そして,単純に飲む・遊ぶこともしばしばです.これは研究室の時から続いているものです.多くの友人を得ることができたことも自分にとっては素晴らしい経験でした.

宇治川の桜(キャンパスから電車で5分のところ) 東福寺の紅葉(キャンパスから電車で30分のところ)

 以上,堅苦しいお話でしたが,最後に,実は先日千木良先生から「HPになんか文章を寄せてくれ!」と頼まれました.東日本大震災,昨年の台風12号災害を経て,社会の災害の研究に対する期待が高まり,現在も研究室は忙しく動いています.ここ数年で得られる成果は必ず,避けられない次の災害に向けて還元しないといけません.従来の研究の想定していない新しい災害事象も発見されています.そういうことに興味を持っている学生にぜひうちの研究室をアピールしたいとのことでした.ということで以上の感想を写真と共に寄稿させていただきます.

2012年8月16日